/――山道で出会った人々
令和8年9月26日
10月25日の経塚山登山に向けて、天野さん、松尾さん、そして私の三人で下見に出かけた。
最初に立ち寄ったのは、山田湧水。
水を一口飲んでみる。
少し重みのある感じがする。
けれど、まろやかで、口に含むとすっきりしている。
「おいしい水だな」
そう思った。
出発点では、三、四人の人が容器を持って水を汲んでいた。
皆、あまり言葉を交わすことなく、黙々と水を汲んでいる。
その姿を見ていると、
「昔も、きっとこんな風景だったのだろう」
そんな思いが浮かんできた。
水を汲む人。
山へ向かう人。
そして、この道を歩いてきた人。
時代が変わっても、山の水を求める人の姿は変わらないのかもしれない。
/鹿鳴越の道へ
私たちは鹿鳴越の道へ入った。
この道は、フランシスコ・ザビエルが山口から豊後へ入り、大友宗麟に会うために歩いた道の一つだと聞いている。
道幅はおよそ二メートル。
森の中を三人で歩いていると、ふと不思議な感覚に包まれた。
前を見ると、白いフリルのようなシャツを着て、黒っぽい服をまとい、十字架を胸に下げ、ひげを生やした宣教師らしき人が歩いている。
後ろにも、同じような姿の人がいる。
「まさか……」
もちろん、そんなはずはない。
けれど、森の静けさの中では、まるで何百年も前から歩いてきた人たちが、今もこの道を歩いているように感じられた。
声をかけようとしても、彼らは下を向き、黙々と歩いている。
前の人との間隔も、後ろの人との間隔も、いつも同じ。
私たちが立ち止まれば、後ろの人も立ち止まる。
前の人も立ち止まる。
不思議な一定の間隔だった。
石切り場で消えた人影
それは石切り場付近での出来事だった。
石を切り出した跡なのだろうか、石がごろごろと転がっている。
足元を見ながら歩かなければ、つまずいてしまいそうだ。
そのとき、さっきまで見えていた宣教師たちの姿が、石の中へ入っていくように見えた。
そして、前にも後ろにも、人影はなくなった。
もちろん、現実に人がいたわけではない。
私の想像だったのだろう。
けれど、
「昔、この道を本当に宣教師たちが歩いたのだ」
そう思うと、石の一つ一つまでが、遠い時代の記憶を持っているように感じられた。
もしかすると、彼らは私たちに、
「ここは足元に気をつけて歩きなさい」
と、道案内をしてくれたのかもしれない。
そんなことを考えながら、三人で慎重に歩いた。
アケビの実
途中、道に青く大きなアケビの実が一つ落ちていた。
思わず上を見上げる。
「どこに実っているのだろう」
つるを探したが、見つからない。
猿が食べたのだろうか。
それとも、風に揺られて落ちてきたのだろうか。
それでも、
「この辺りには、間違いなくアケビがある」
そう思った。
もう少し秋が深まれば、葉が色づき、実の姿も見つけやすくなるかもしれない。
山は、季節が進むたびに少しずつ姿を変えていく。
ロープを握って
森の木々が小さくなり、周囲が明るくなってきた。
ところどころから、別府湾、日出湾の景色がきれいに見える。
そして、少し急な場所に出た。
そこにはロープが張られている。
およそ30メートルほどだろうか。
三人とも、しっかりとロープを握り、足元を確かめながら登っていく。
ロープを握って一歩、一歩。
なんだかアルピニストになったような気分になる。
「これは楽しいな」
そんな気持ちで登った。
山歩きは、こういう小さな冒険があるから面白い。
稜線に出る
やがて稜線に出た。
両側には小さな竹林が続いている。
道はきれいに整備されていて、とても歩きやすい。
テレビのアンテナ塔も立っていた。
さらに進むと、つげの木が多くなってくる。
自然に生えたものなのか、それとも誰かが植えたものなのか。
そんなことを考えながら歩く。
風が通り、森の中とはまた違った気持ちよさがある。
「いい道だな」
三人とも、そう感じていた。
経塚山の頂上
そして、ついに頂上へ。
まず目に入ったのは、ミヤマキリシマの自然群生だった。
「こんなところに、こんなにあるのか」
驚いた。
頂上付近もきれいに整備されていて、気持ちがいい。
三人で腰を下ろし、昼食をいただく。
山の上で食べる弁当は、どうしてこんなにおいしいのだろう。
汗をかいて歩いた後だからこそ、何気ない食事がごちそうになる。
霧の中の下山
ところが、しばらくすると霧が出始めた。
さっきまで見えていた景色が、少しずつ消えていく。
やがて視界は、およそ5メートルほど。
何も見えない。
リーダーが大きな声で言った。
「雨具を用意しよう。下山するよ!」
声を大きくしたのは、霧と雨で足元が滑りやすくなるからだ。
三人で声を掛け合いながら、来た道を慎重に下っていく。
登るときには見えていた景色も、霧の中では見えない。
山は、同じ道でも天候によってまったく違う顔を見せる。
10月25日、本番へ
今回の下見で、道の様子はだいたい分かった。
10月25日。
本番の日には、今日とは違う秋の景色が待っているだろう。
紅葉も少しずつ始まっているかもしれない。
そして、今日見えなかった山の景色も、きっと見せてくれるだろう。
帰り道、三人で話した。
「10月25日は、今日とは違う景色が見られるといいな」
山は、いつも同じ姿ではない。
晴れた日は晴れた山。
霧の日は霧の山。
そして、そこを歩く人の心によっても、山の見え方は変わる。
今日、私たちは下見に来た。
けれど、歩いてみると、ただ道を確認しただけではなかった。
湧水に昔の人を思い、
鹿鳴越の道で宣教師の姿を想像し、
一つのアケビの実に秋を感じ、
霧の中では山の怖さを知った。
山は、歩くたびに何かを教えてくれる。
10月25日。
今度は仲間たちと一緒に、この道を歩く。
その日、経塚山はどんな姿を見せてくれるだろう。
私は今から、その日が少し楽しみである。
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