/年秋になると、私の家の前にあるせんだんの木は、一年で最もにぎやかな季節を迎えていた。
家の前四十メートルほどの場所に三本、裏の公園には幹回り四メートルほどの大木が一本、さらに運動場の周囲にも四本。合わせて八本のせんだんの木が、町の秋を彩っていた。
そこへ百羽、百五十羽ほどのムクドリの群れが、五つ六つと空から舞い降りる。夕暮れの空は羽音で満ち、木々は黒く染まり、町は鳥たちの鳴き声に包まれた。
人は「うるさい」「糞が困る」と言った。
しかし私には、それが秋の訪れを知らせる風物詩だった。
群れから離れた二十羽ほどが道端に落ちたせんだんの実をついばむ姿を、私は毎年のように眺めてきた。食べやすいように実を道の隅へ寄せておいたこともある。
ところが昨年の秋から、その風景が突然消えた。
「今日は来るだろう。」
「明日こそ帰って来るだろう。」
そう思いながら毎日木を見上げた。
しかし、一羽も来ない。
今年になっても同じだった。
せんだんの葉は青々と茂り、実だけが静かに地面へ落ちていく。
誰にも食べられることのない実を見つめながら、私はそっと脇へ片づけた。
秋は来ても、ムクドリは来なかったのである。
/連載 第一編
ムクドリが来なくなった秋
年秋になると、私の家の前にあるせんだんの木は、一年で最もにぎやかな季節を迎えていた。
家の前四十メートルほどの場所に三本、裏の公園には幹回り四メートルほどの大木が一本、さらに運動場の周囲にも四本。合わせて八本のせんだんの木が、町の秋を彩っていた。
そこへ百羽、百五十羽ほどのムクドリの群れが、五つ六つと空から舞い降りる。夕暮れの空は羽音で満ち、木々は黒く染まり、町は鳥たちの鳴き声に包まれた。
人は「うるさい」「糞が困る」と言った。
しかし私には、それが秋の訪れを知らせる風物詩だった。
群れから離れた二十羽ほどが道端に落ちたせんだんの実をついばむ姿を、私は毎年のように眺めてきた。食べやすいように実を道の隅へ寄せておいたこともある。
ところが昨年の秋から、その風景が突然消えた。
「今日は来るだろう。」
「明日こそ帰って来るだろう。」
そう思いながら毎日木を見上げた。
しかし、一羽も来ない。
今年になっても同じだった。
せんだんの葉は青々と茂り、実だけが静かに地面へ落ちていく。
誰にも食べられることのない実を見つめながら、私はそっと脇へ片づけた。
秋は来ても、ムクドリは来なかったのである。
/待つということ
ムクドリが来なくなってから、私は以前より空を見上げるようになった。
電線に鳥が止まっていないか。
せんだんの枝に黒い影はないか。
町の中を歩きながら、一キロほど先まで電線を見て歩くこともある。
けれど、いない。
以前なら、あれほど「うるさい」と思った鳴き声が、今は恋しい。
人間というものは、不思議なものだ。
そこにいるときには、その大切さに気づかない。
いなくなって初めて、その存在が自分の暮らしの一部だったことを知る。
ムクドリだけではない。
人生にも、そんなことが何度もあった。
若いころには、明日が来ることを当たり前だと思っていた。
友とまた会えること。
家族と一緒に食卓を囲めること。
元気になれば、またどこへでも行けること。
「また今度」と言えば、
その「今度」は必ず来るような気がしていた。
しかし、長く生きてくると、
「また今度」が来ないこともあると知る。
会いたい人が、もういない。
帰ってくると思っていた人が、帰ってこない。
昔と同じ景色を探しても、そこにはもうない。
それでも人は待つ。
待つということは、
ただ何もしないで時間を過ごすことではないのかもしれない。
「もしかしたら」と思いながら、
今日を大切に生きることなのだと思う。
私は今年の秋も、せんだんの木を見上げるだろう。
ムクドリが帰ってくるかもしれない。
帰ってこないかもしれない。
温暖化のせいなのか、
気候が変わったのか、
人間の暮らしが変わったのか。
その答えは、私には分からない。
ただ、せんだんの木は今年も実をつける。
鳥が食べなくても、
風が吹けば実は揺れ、
季節が来れば葉は色づいていく。
そして私は、その木の下を歩く。
「今年も来なかったな」
そうつぶやく日が来るかもしれない。
それでも、空を見る。
人生も同じなのかもしれない。
帰ってくるものを待つこと。
もう帰ってこないものを、静かに受け入れること。
そして、待ちながらも、
自分の今日を生きていくこと。
長い人生を振り返ると、
私たちは多くのものを待ちながら生きてきた。
春を待ち、
子どもの成長を待ち、
仕事の区切りを待ち、
家族の帰りを待ち、
そして、明日を待った。
待つことは、
希望を捨てないことでもある。
だから私は、もう一度だけ待ってみようと思う。
今年の秋、
せんだんの枝に一羽のムクドリが舞い降りたら、
「おかえり」
と声をかけたい。
もし来なかったとしても、
私は空を見上げる。
そこに鳥がいなくても、
空は空として、私の頭上に広がっている。
そして、せんだんの木は、
何も言わずにそこに立っている。
私もまた、
その木のように生きていきたい。
来るものを迎え、
去るものを見送り、
そして今日という一日を、
静かに受け止めながら。
――待つということ。
それは、
帰ってくるものを待つことだけではない。
帰ってこないものを思いながら、
それでも明日へ歩いていくことなのだ。
/温暖化の進行か 第二
気候変動去年の秋前後よりせんダンの木にはムクドリが来ない毎年私の家の前40メイトル場所にせんだんの木が3本胴回り3メイトル裏側の公園には胴回り4メイトルの1本と
公園の運動場の4本胴回り2メートル前後にムクドリが100羽~150羽の群れが5群れから6群れがやってきていましたが私が生きていてはじめてです去年から今年にかけては1羽のムクドリもみません毎年道端におちているせんだんの実を群れからはなれた20羽くらいが実たべるのをみてきていますので隅によせてまちました
今日は来るわ~今日は来るはと待ちましたが来ないせんだんの木も青青してきましたので
落ちている公園の1本のせんだんの木の実をわきに捨てましたました
何処に行ったのだろう 昔は益鳥と言われいまわ鳴き声大量の糞今日もムクドリ鳥がとまってないか町のなかの電線1キロ前後をみてあるくがいない変動か駆除化今年の秋を観察したい。
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