六月の終わり、霊山は静かであった。
その静けさは、音のない世界ではない。風が梢を渡り、名も知らぬ鳥がひと声だけ空を震わせる。そして、人の笑い声さえも、いつしか深い緑に吸い込まれ、森は何事もなかったように黙り込む。
山とは、不思議なものである。
人は頂を目指して歩くのに、いつしか自分の心の奥へと導かれている。
石を踏む音が、自分の歳月を数えているように聞こえる。
汗は六月の陽を映し、吹き抜ける風は、まだ遠いはずの秋をそっと運んでくる。
山頂の温度は十九度。
数字はただの数字にすぎない。しかし、その一度一度の涼しさには、季節の境目を告げる自然の息遣いが宿っていた。
展望台に立てば、高崎山は黙して語らず、別府湾は光を湛え、大分の町は人々の暮らしを静かに抱いている。
遠くを見るほどに、人は自分という小さな存在を知る。
登山道に細い棒が立っていた。
近づけば、それはフジバカマの苗であった。
花はまだない。
けれど、人は咲く日を信じて植える。
自然もまた、その約束を裏切らない。
私たちは九人。
長い人生を歩いてきた者同士である。
若さは過ぎても、歩く力は残されていた。
笑い合える仲間がいる。
それだけで、一つの山は豊かになる。
人は山を征服することはできない。
山は、ただそこに在る。
変わるのは、いつも人の心である。
下山の道ですれ違う人々が交わす「こんにちは」。
その短い言葉には、町の中では忘れかけた温もりがあった。
自然は語らない。
だからこそ、人は耳を澄ます。
風の声に。
木々の沈黙に。
自らの鼓動に。
霊山は何も教えなかった。
しかし、帰るころには、何か大切なものを受け取っていた。
それが山というものなのだろう。
/俳句
六月の 風に秋見る 霊の山
富士袴 未来へつなぐ 山の道
歌
笑い声 木々に溶けゆく 山道を
ひと足早き 秋を知りたり
富士袴 花待つ苗の 細き影
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